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【寄稿】「食を趣味にする」という考え方が意味すること(月刊シークエンス2025年10月号)

*本稿は月刊シークエンス2025年10月号掲載の「物価上昇と賃金停滞の時代」を加筆修正したものとなっています。  

 近年の日本社会は、物価上昇が顕著であるにもかかわらず、賃金の伸びがそれに追いつかず、実感としては「賃金は増えていないのに出費だけが増えていく」という厳しい状況に直面している。総務署が発表している消費者物価指数(CPI)によれば、2022年以降、総合指数は前年同月比でプラスが続いており、いわゆるコアCPI2023年から2024年にかけて2%から3%台の上昇を維持している。これは日本銀行が長年目標としてきたインフレ率2%を超えるものであり、理論上は賃金上昇や経済活性化につながるはずであった。しかし、実際には現在の「コストプッシュ型インフレ」では、賃金の上昇が十分に伴わず、家計の実質的な購買力は低下している。厚生労働省が公表する毎月勤労統計調査によると、名目賃金はわずかに上昇しているものの、物価上昇率を差し引いた実質賃金は2022年から2024年にかけてマイナスが続いており、2024年においても前年同月比で実質賃金が1%前後の減少を記録する月が少なくない。こうしたデータは、働いても働いても生活が楽にならないという庶民の実感を裏付けている。

 生活必需品の値上がりは特に顕著である。農林水産省や民間調査会社のデータによれば、小麦粉や食用油、乳製品など輸入原材料に依存する食品は、円安と国際的な資源価格の高騰を背景に大幅な値上げが続いている。家計調査に基づくと、2023年時点で二人以上世帯の食料支出は前年比で3%から5%増加しており、特に外食や調理食品の伸びが大きい。また、電気料金やガス料金といった光熱費も、燃料調整費の上昇や再エネ賦課金の影響により上昇傾向にある。総務省統計局の「家計調査」では、2023年の実質消費支出は前年比で減少しており、特に娯楽サービスや教養娯楽関連費が減少幅を拡大していることが報告されている。これらは、庶民が生活防衛のために真っ先に削っているのが「趣味や娯楽への支出」であることを如実に示している。

 具体的にどのような形で支出が削減されているのかを見てみると、旅行やレジャーといった高額の支出はまず最初に抑制される。観光庁のデータによれば、コロナ禍後に一時的に国内旅行需要が回復したものの、2024年に入ってからは物価高による旅行回数の減少が確認されており、特に若年層や子育て世帯で「旅行を年1回に限定する」「日帰りに切り替える」といった節約行動が広がっている。また外食産業も影響を受けている。日本フードサービス協会の統計によれば、2023年から2024年にかけて外食売上は増加傾向にあるものの、それは単価上昇によるものであり、客数自体は伸び悩んでいる。すなわち、外食は「回数を減らして単価の高いものをたまに楽しむ」という形に変容しており、以前のように気軽に家族や友人と頻繁に外食を楽しむスタイルは難しくなっている。

趣味予算の削減の影響

 趣味予算の削減は、社会的側面にも影響を及ぼしている。レジャー白書のデータを参照すると、かつては人気のあった娯楽活動、例えばパチンコや映画鑑賞、ライブ観戦といったものは参加人口が年々減少している。これは少子高齢化や娯楽の多様化も要因ではあるが、直近の傾向としては「可処分所得の減少」が強く影響していると考えられる。娯楽は必需品ではなく、どうしても「後回し」になるためである。しかし、こうした削減は人々のメンタルヘルスに少なからず影響を及ぼす。内閣府の調査でも、生活に「楽しみやゆとりがない」と回答する人の割合が増加しており、物価高の影響を強く受ける低所得層ほどその傾向が顕著である。趣味はストレス発散や人間関係の維持に重要な役割を果たしているが、その余地が失われることで孤立感や不安感が増幅しているのである。

 ここで重要なのは、こうした物価上昇の影響が年代によって異なる形で現れている点である。総務省「家計調査」や労働政策研究・研修機構の分析を参照すると、若年層はもともとの所得水準が低く、貯蓄も少ないため、物価高の影響を最も直接的に受けている。20代から30代前半の単身者では、趣味や娯楽費をほぼゼロに近づけ、食費や住居費に予算を集中させざるを得ないケースが多い。結果として、SNSや無料動画など低コストで楽しめるコンテンツへの依存が強まり、「外で遊ぶ」よりも「家で楽しむ」生活スタイルが広がっている。一方で、この世代は食の趣味化に柔軟に適応しやすく、自炊スキルをSNSで学んだり、格安スーパーや業務用食品を上手に使いこなしたりするなど、工夫によって生活を楽しむ姿勢も見られる。

 中年層、特に子育て世帯では、教育費や住宅ローンの負担が重いため、娯楽支出の削減はより厳しくなる。40代から50代の世帯では「家族旅行を控える」「子どもの習い事を一部やめる」といった形で支出調整が行われており、趣味や娯楽よりも家族の基盤を守ることが優先される傾向が強い。この層にとって食の趣味化は「家庭内イベント」としての意味を持ちやすく、手巻き寿司や鍋料理といった団らん型の食事が娯楽の代替として機能する。

 一方、高齢層においては、年金収入が生活の中心となるため、物価高の影響は深刻であるが、若年層や中年層とは異なる適応の仕方が見られる。60代以上では、もともと時間的余裕があるため、家庭菜園や保存食作りといった「食と暮らしを結びつけた趣味」に移行する傾向が強い。統計的にも、高齢者ほど自炊比率が高く、外食費の割合が低いことが示されている。さらに高齢層では、健康維持への関心が強いため、食を趣味とすることは生活防衛と同時に健康投資の意味を持ち、合理性がより高まっている。つまり、同じ「食の趣味化」であっても、若年層では低コストでの自己表現、中年層では家族コミュニケーション、高齢層では健康維持と生活充実、というように年代ごとに異なる性格を帯びているのである。

食を趣味にする

 そのような中で注目されているのが「食を趣味にする」という考え方である。食事は誰にとっても避けられない生活必需行為であり、これを「楽しみ」として拡張することは、生活防衛を行いながら精神的充足感を得るための合理的な手段となる。総務省の家計調査でも、食費の構成比は全支出の中で最も高く、2023年時点で二人以上世帯では全体の約27%を占めている。衣料品や娯楽費よりもはるかに高い比重を持つ食費を「趣味的支出」に転換できれば、追加的な負担を最小限に抑えつつ生活満足度を維持することができるのである。

 食を趣味化する合理性はいくつかの側面から説明できる。第一に、コストコントロールの柔軟性が高い点である。例えば、自炊を趣味とすれば、同じ食費でも工夫次第で満足度を高められる。農林水産省のデータによれば、自炊の方が外食に比べて平均で約40%から50%安く済むとされる。節約と充実感を両立できることは、経済的に厳しい環境下では大きな意味を持つ。第二に、食は家庭や友人と共有しやすい。レジャー産業に参加するには移動費や入場料がかかるが、家庭での食事や料理イベントは食材費だけで実現できる。実際、SNS上では「家族で餃子を包む」「友人と持ち寄りパーティー」といった事例が数多く報告されており、身近なコミュニケーション手段としても有効である。第三に、食を趣味とすることは健康維持につながる。栄養バランスや調理法に関心を持つことで、生活習慣病予防や健康寿命の延伸に寄与する可能性がある。厚労省の国民健康・栄養調査によれば、自炊頻度が高い人は外食中心の人に比べて野菜摂取量が多く、肥満や高血圧のリスクが低い傾向があることが示されている。

 さらに食を趣味にする流れは社会経済的にも波及効果を持つ。例えば、地元産の農産物を使った家庭料理や地元飲食店の利用は、地域経済の循環につながる。農水省の調査では、地産地消を意識した消費行動が農業の維持や地域雇用に寄与していることが明らかになっている。つまり個人の趣味が地域社会の活性化にもつながり得るのである。一方で、食を趣味にすることには課題も存在する。過度な食への依存は肥満や過食を招く可能性があり、また健康志向が強すぎると逆にストレスの原因となるケースもある。また、外食産業にとっては家庭内調理の増加が逆風となるが、低価格かつ付加価値の高い商品を提供することで逆に支持を集める余地もある。

 結論として、現在の日本社会においては物価上昇と賃金停滞が庶民の暮らしを圧迫しており、その中で生活防衛のために趣味予算を削るという行動が広がっている。しかしその一方で、食事を趣味とすることは生活必需品である食費を「楽しみ」に転換する合理的な戦略であり、精神的充足感を確保しつつ生活を守る知恵といえる。統計データが示すように、食費はすでに家計において大きな割合を占めており、その使い方次第で暮らしの質は大きく変化する。趣味の多様性が制限される中でも、食を通じて人々は創造性や人間関係、健康意識を高めることができる。さらに年代ごとにその意味合いは異なり、若年層では低コストでの楽しみや自炊スキルの習得、中年層では家族団らんや教育費との両立、高齢層では健康維持や生活の充実という形で、それぞれに食の趣味化は生活戦略として合理的に機能している。日本社会が今後も物価上昇と賃金停滞という構造的課題に直面する中で、食の趣味化は単なる個人の工夫にとどまらず、世代横断的な生活文化として広がっていく可能性が高いと考えられる。

まとめ

 物価上昇と賃金停滞のなかで生活防衛意識が強まる時代、パチンコや映画館といった娯楽産業は従来の「非日常の贅沢」から「日常に寄り添う身近な楽しみ」へと位置づけを変えていく必要がある。高額な出費を前提とした集客ではなく、低価格で短時間でも満足感を得られるサービス設計が求められる。例えば、パチンコでは遊技時間を調整しやすい低貸玉コーナーや地域交流を意識した空間づくり、映画館では割引デーや多様な上映形態による価格の選択肢拡大が効果的だろう。また、食事や買い物と組み合わせた複合的な体験を提供することで「食を趣味とする流れ」と親和性を持たせられる。重要なのは、娯楽を通じて人々が生活に小さな彩りや社会的つながりを感じられる場を守ることであり、そうした役割を担う施設としてパチンコ店や映画館は、庶民の暮らしに適応した「無理なく楽しめる居場所」として存在していくべきではないだろうか。

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