
4円パチンコ市場の苦戦が続く中、その要因の一つとして指摘されているのが玉粗利の上昇だ。しかし、玉粗利と共に気になるのが同じ予算で遊べる時間が以前より短くなっている可能性だ。「3時間遊びたいのに、予算が2時間しか持たない」。そんな状況が広がれば、パチンコは余暇を過ごすための娯楽として、その価値を徐々に失っていくことになる。今回は「負ける金額」ではなく「遊べる時間」という視点から、4円パチンコ市場が抱える課題について考えてみたいと思う。
玉粗利の上昇が招く「勝ち負け」以外の重大な影響
現在の4円パチンコの現状を語る際、しばしば問題として挙げられるのが「玉粗利」の上昇である。玉粗利は、簡単に言えば、打ち出された玉1個あたりからホールが得る粗利額を示したものなので、これが高くなれば、基本的にはプレイヤー側の負担も大きくなる。この玉粗利が近年、上昇傾向にあるのは周知の通りだ。
言うまでもなく、ホール側にも事情はあり、電気料金や人件費をはじめとする店舗運営コストや新台価格の上昇、業界全盛期と比較して短命化する機械への対応などを考えれば、単純に「もっと利益を減らせばいい」と言って済む話ではない。
しかし、ここで考えてみたいのは、玉粗利の上昇がプレイヤーに与えている影響である。「勝ち金額」「負け金額」、あるいは「勝ち率」「負け率」だけで捉えるのではなく、筆者はむしろ、「同じ予算で遊べる時間が短くなっている」ことの方が、パチンコという娯楽にとって深刻なのではないかと考えている。
例えば、ある人が休日の午後にパチンコ店へ行ったとする。予算は2万円。午後1時から夕方4時くらいまで、3時間程度遊んで帰ろうと考えていた。ところが、実際には午後3時になる前に予算を使い切ってしまった。もちろん、パチンコには大当たりがあるため、すべてのプレイヤーが同じようになるわけではない。早い段階で大当たりを引き、その後何時間も遊べる人もいる。しかし平均的に見れば、1時間あたりのプレイヤー負担が大きくなれば、一定の予算で確保できる遊技時間は短くなる。ここに、現在のパチンコが抱えている問題の一つがあるように思えてならないのだ。
プレイヤーは必ずしも「負けたから不満」なのではない。筆者が過去に実施したアンケート調査でも、「勝ち負け」よりも「楽しさ」を重視するプレイヤーが半数近く存在していることが確認されており、「思っていたほど長く遊べなかった」ことに不満を感じている可能性も十分に考えられる。
この二つの不満は似ているようで、実は意味が違うことを理解しておきたい。
「時間を過ごすための商品」としての4円パチンコの価値低下
そもそも娯楽とは何だろうか。
映画館へ行けば、およそ2時間を映画鑑賞に使う。プロ野球を観戦すれば3時間程度を球場で過ごす。ゲームを購入すれば、数十時間遊べることも珍しくない。動画配信サービスなら月額料金を支払うことで、かなり長い時間コンテンツを楽しむことができる。消費者は娯楽を選択するとき、料金だけを見ているわけではない。「いくら払うか」と同時に、「それによって、どれくらい楽しい時間を過ごせるのか」を無意識のうちに比較している。そう考えると、パチンコも同じである。
パチンコホールに来る人は、単に大当たりという結果だけを買いに来ているわけではないし、「必ず勝てる」とも考えていない。台を選び、ハンドルを握り、演出を見て、大当たりを期待しながら数時間を過ごし、結果として負けることの方が多いことも知っている。しかしながら、それでもパチンコを遊技する時間を楽しんでいる。つまり、彼らにとっての商品は「遊技時間」なのかもしれない。
ところが、その時間そのものが短くなっているとすればどうだろう。同じ1万円を持ってパチンコ店へ行っても、以前より早く玉(予算)がなくなってしまう。それが繰り返されれば、プレイヤーの頭の中では、「最近のパチンコは遊べない」という評価が形成されていくことになる。
パチンコは偶然性を伴う遊技である以上、すべてのプレイヤーを勝たせることはできない。ホールも事業である以上、利益を確保しなければならない。したがって、「負ける人をなくす」という発想では、この問題を解決することはできないのは言うまでもない。
しかし、「負けても、ある程度の時間は楽しめた」という状態をつくることは考えられる。例えば同じ1万円を使うとしても、1時間でなくなる場合と、3時間遊んだ結果としてなくなる場合では、プレイヤーが受ける印象はかなり違うはずだ。後者であれば、「今日は負けたけれど、それなりに遊んだ」と思える人もいるだろう。ところが短時間で予算を使い切れば、「何もできないまま1万円がなくなった」という印象になりやすい。
プレイヤーの損失が同じでも、そこから得られる娯楽時間が違えば、消費者が感じる価値もきっと異なるはずなのだ。
「時間粗利」という視点 〜「大衆娯楽」を時間から考え直す〜
ここで注目したいのが「遊技時間粗利」という指標である。
例えば遊技時間粗利が1500円なら、単純化すれば、プレイヤー全体では1時間遊ぶごとに平均1500円程度を消費していることになる。3時間なら4500円、4時間なら6000円である。もちろん個々のプレイヤーでは大勝する人もいれば、大きく負ける人もいるため、実際の遊技はこの通りにはならない。
それでも「パチンコという娯楽が、1時間あたりいくらの負担をプレイヤーに求めているのか」を考える指標としては非常に分かりやすい。今後のパチンコ営業では、玉粗利と同時に、この「1時間あたりの負担」をもっと意識する必要があるように思える。
また、現在の消費者には、非常に多くの余暇の選択肢があるという点から考えても課題がある。スマートフォンゲーム、家庭用ゲーム、動画配信、YouTube、SNS、映画、漫画、アニメ、スポーツ観戦、カラオケなど、数え上げればきりがない。しかも、その多くは比較的少ない金額で長時間楽しめる。
この環境下でパチンコだけが、「短時間でまとまった金額を必要とする娯楽」になれば、相対的な競争力が低下するのは当然である。
特に問題になるのはライトユーザーだろう。週に何度も来店するヘビーユーザーであれば、ある程度の投資スピードを理解したうえで遊技する。しかし、「久しぶりにパチンコでも打とう」と考えた人が1万円を持って来店し、想像以上の速さでその予算を使い切ったらどうだろう。その人は次の休日にもパチンコを選ぶだろうか。
ここにファン人口、特に苦戦が続く4円パチンコ市場の現状を考えるうえでの大きな課題があるというのが筆者の考えである。
パチンコは長い間、「大衆娯楽」と呼ばれてきた。大衆娯楽であるためには、特別な人だけではなく、普通の人が気軽に参加できなければならない。
その「気軽さ」を構成する要素の一つが価格であり、もう一つが時間ではないだろうか。
数千円を持って店に入り、ある程度の時間遊び、勝つこともあれば負けることもある。そして帰るときに、「今日は結構遊んだな」と思える。かつてのパチンコが持っていた価値の一つは、案外そこにあったのかもしれない。
パチンコファンを増やす議論では、どうしても新機種、スペック、出玉性能、広告宣伝などに目が向きがちだ。しかし、もっと根本的なところに、「パチンコ店へ行けば、予算の範囲内で数時間楽しく過ごせる」という商品価値を取り戻す必要があるのではないだろうか。
これからのパチンコ営業で問われるのは、「1玉からいくら利益を取るか」だけではなく「お客様の1時間に対して、いくらの負担を求めるのか」「その負担に見合うだけの楽しい時間を提供できているのか」ではないだろうか。
ファン人口の問題を考えるとき、今こそ「お金」だけではなく、「時間」という物差しからパチンコを見直す必要がある。
